日曜の夜に、映画版の「いま、会いにゆきます」をテレビで見た。
映画館では見ていなかったし、テレビ版も見ていなかったので、ストーリーも知らずとくに期待もしていなかった分、最後のどんでん返しに驚いた。自分が28歳で死ぬという未来を知って、なお、その男性との結婚と出産を決意するというのは。その決断を表現したのが、「いま、会いにゆきます」というタイトルだったとは。
驚いたので、原作も買って読んだ。「私は知ってしまった。あなたたちと出会ってしまった。その思い出を胸に抱いたまま、別の人生を生きることはできない。
あなたと結婚して、佑司を産もう。あなたと私のぼうやをこの世界に迎えよう。そして、幸せな日々の記憶を胸に、微笑みながら去っていこう。私はそう心に決めて、途中下車することなく、あなたのもとに向かったのでした。」
そうなのだと思う。「もっと生きたいと思う気持ちはあります。……でも、私が選んだ人生です。」そう、あなたが選んだ人生だよと呼びかけたくなるくらいのフレーズが並んでいた。
彼女には、別の人生を生きることはできなかった。彼らと出会ってしまったのだから。でも、それは、彼女が主体的に選んだ人生。だから、この物語は美しい。繰り返して言おう。この物語が胸を打つのは、彼女が別の人生を生きることができたからではない。彼女はそれができない人だったからこそ、この物語は感動的なのである。彼女は、それができない人だったからこそ、その通りに生きた。それこそが、主体的な決断なのである。